オガワブログ

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志村けん 波乱万丈人生!!

3月29日志村けんさんが新型コロナウィルススによる肺炎のため、死去しました。70歳でした。自分はまだ高校生ですが、本当に小っちゃいころからずっとテレビで見てて実際にあったこともないのに親戚くらい近く感じられるくらいの人でした。本当に伝説のお笑い芸人が死んでしまったことは、悲しいことです。今回は、そんな志村さんの人生を勝手にリスペクトを込めまくって振り返ってみます!

 

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1950年2月20日小学校の教師だった父・憲司と母・和子の三男として東京に生まれる。本名は、志村 康徳(しむら やすのり)です。ちなみに志村けんの「けん」は父親の名前からとったそうです。

 

幼い頃、父は厳格な人物でしたが、当時はまだ珍しかったテレビのお笑い番組で漫才や落語を観ていた時だけは、そんな父も声を出して笑っていた事に志村さんは衝撃を受けた、そのような体験から、お笑い芸人の世界に憧れを抱くようになり、中学生の頃から本格的にお笑いを仕事とすることを決心する。

 

いかりや長介に直接押しかける

これがまたすごい話ですが、志村けんは高校卒業間際にいかりや長介の家へ直接押しかけ、弟子入りを志願したんです。

 

雪の降る中、いかりや長介の帰宅を12時間ほど待ち続けるも、門前払い同然の扱いで、容赦なく突き放されたが、それでも食い下がったのでその根性を買われ、「バンドボーイ」が辞めてメンバーに欠員が出たらという条件で仮採用されました。

 

一週間後に呼び出された後楽園ホールで、いかりやから正式に採用を告げられた志村けんが、「じゃあ高校卒業したら来ます!」と答えると、「バーカ、明日から行くんだよ、青森に!」と言われて、翌日から青森巡業などへ同行させられるなどすぐに多忙となり、高校卒業式は当日の午前中だけ時間を貰い慌ただしく式に出席し、仕事に戻った。

 

志村けんのすごさは、そのお笑いセンスだけじゃなくてその行動力と強い根性です。

 

付き人時代

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 付き人になってからはものすごく忙しくなった。その時、志村は楽屋でコーヒーを売っていた。それを和田アキ子が買うとすごく喜んだそうだ。なんせ、月収が5000円ほどしかないという超極貧生活を送っていたらしい。

 

もう一つ面白い話が脱走の話です。 

 

加藤茶の付き人となったが1年くらいで一度脱走して、バーテンダーなどのアルバイトをしていた。仲間が伝えるのを忘れていたせいで、脱走したとメンバー内で騒がれていた。

戻って来た時にはいかりやの家に行きづらかったので、加藤の家に行って頼み、いかりやへ口添えしてもらったところ、「二度も弟子入りする奴は、よくよく好きなんだろう」と出戻りを認めてくれた。その後、しばらく加藤の付き人兼加藤家居候になったそうです。

ドリフターズに入る

22歳の時に井山淳とお笑いコンビ・「マックボンボン」を結成し、「志村健」の芸名で芸能界デビュー。そして早くも、冠番組を獲得するという幸運になったが、知名度が低かったのとネタが少なかったせいで、番組は打ち切られてしまう。

志村はその後ドリフターズの付き人に戻ったが、戻った直後に「メンバー見習い」の扱いで、「志村けん」に改名した上でドリフに加入する。

荒井注が脱退し、4月1日に正式にドリフのメンバーとなる。この時、いかりやは自分や荒井と同年代の新メンバー豊岡豊の加入とすわしんじの昇格も検討していたが、志村の順番であったことと加藤の推薦により若手の志村が起用された。当時、志村は24歳だった。

 

「東村山音頭」でヒット

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見事憧れのドリフターズに入れたのだが、客からの反応は冷たいものでした。「荒井注のほうがおもしろかった」、「面白くない新人」など言われていた志村けんのスランプ時代でした。

しかし!転機が訪れます。

志村は『8時だョ!全員集合』の「少年少女合唱隊」のコーナーで「東村山音頭」を歌ったことで、これにより一躍人気者となる。

 

ここからの志村けんの活躍ぶりは説明不要ですよね。

 

3月29日 志村けん 死去

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 本当に日本中が志村さんの悲報には驚いたと思います。コロナウィルスに感染してから2週間足らずでお亡くなりになられました。それも突如出てきた謎のウィルスによって。本当に悲しい気持ちでいっぱいという思いとともにコロナウィルスの恐ろしさを思い知りました。

ご冥福をお祈りします。