革命家チェゲバラの人生 壮絶すぎる!? 後編
キューバ革命成功の後に
首都ハバナに入りキューバ革命を成功させたカストロとゲバラ、彼らが次にしなければならなかったことは、新しいキューバの国造りだった。カストロはキューバの首相になりゲバラは国立銀行総裁工業大臣に就任した。アメリカに搾取されることのないキューバ自らの経済を作っていくことになった。まず行ったことは農地改革である。地主が多く所有する土地を国が安く買い取り農民に平等に分配することで貧富の格差をなくそうとした。そして次に、工業の近代化だ、ゲバラは自らの足で工場を視察してキューバの工業化に貢献した。
働き者のゲバラ
ゲバラは国立銀行総裁工業大臣という権威ある役職を得たにもかかわらず、仕事のない休日は労働者とともに一生懸命働いた、そして空いている時間は勉強に充てるという毎日を送っていた。このゲバラの姿勢をみてキューバ国民はみな感嘆したものだろう。ゲバラはこういった他人のために率先して働く生き方を「新しい人間の生き方」と表現した。
キューバ危機
当時世界は東西冷戦真っただ中。世界は西側のアメリカ率いる資本主義陣営と東側のソビエト率いる社会主義陣営に二分されていた。
アメリカは自国の真下にある小さな社会主義国家を無視することはできなかった。そして、起こったのがあの有名なキューバ危機である。ソビエトはキューバに核ミサイルを配備していつでもアメリカ本土を狙えるまでになった。これに対しアメリカはキューバ沖に軍艦を配備した。世界にもっとも緊張が走った瞬間だった。この事件以来キューバは世界の注目を浴びるようになった。
そしてゲバラは様々な国際会議に出席するようになる。国連にて莫大な戦力と経済力で他の国を圧倒するアメリカを公然と批判して世界から賞賛を浴びた。だが、その矛先はアメリカにとどまらなかった、アジア・アフリカ経済会議にてゲバラはソ連までも批判したのだった。
新しい革命を求めて
アジア・アフリカ経済会議の20日後ゲバラは突如自らの地位をすべて捨てて新しい革命の地アフリカのコンゴに向かった。当時のコンゴは建国当初で民族紛争が泥沼化していた。そこでゲバラは、現地の革命軍に指導者として革命を進めていくことになった。
だが、革命はなかなかうまくいかなった。コンゴ革命軍には、キューバの時のように他人のために率先して働くという考えがなかった。そして住民に対し金銭や食料を強要していたのだった。複雑な民族問題があり敵味方が入り乱れるコンゴではキューバの時のようにうまくいかなかった。失意とともにゲバラはコンゴを去った。
最後の地ボリビア
そしてゲバラはついに初めて革命を目にした地ボリビアに行く。この地でも再び革命ののろしを上げたのだった。だが、アメリカ政府が味方する政府軍になかなか太刀打ちできなかった。そしてまたボリビアの住民たちもゲバラに味方することはなかった。
そしてついにゲバラは政府軍に捕らえられてしまった。1967年10月8日のことであった。革命家として世界を飛び回り世界に希望と勇気と恐怖を与えた伝説の革命家の人生はここでまくを閉じることになった。
ゲバラが最後に発した言葉は自分に銃口を向ける青年に放ったものだった。
「撃て!恐れるな!俺はただの男に過ぎない」
こうしてゲバラの死は世界中に衝撃を与え今なお若者に影響を与え続けている。