革命家チェゲバラの人生 壮絶すぎる!? 前編
赤いキリストエルネスト・チェ・ゲバラ
今回は、キューバ革命を成功させた伝説の革命家チェゲバラの人生について書いていきます。誰もが一度は見たことがあるこの写真の人のことです。
アルゼンチンに生まれた秀才
キューバの革命家チェゲバラはなんとキューバでなくアルゼンチンに生まれました。比較的裕福な家庭に生まれゲバラは喘息持ちではありましたが、不自由なく暮らしていました。そして、ゲバラは高等な教育を受けブエノスアイレス国立大学の医学部に入学したのでした。日本でいえば東大の医学部と超優秀です。
名門の大学に入り医者になるという普通に見ればもう幸せな生活が確定してるようなものですが、ゲバラはこうした学業のみの生活に飽き始めていたのでした。
自分の本当にしたいことは一体何なのだろうか?
人生を変えた南米縦断の旅
そして、ゲバラは自分の存在を考えるために南米を縦断する旅に出たのです。
その旅の中で目の当たりにしたものが、南米を覆う貧困という問題でした。裕福な家で育ったゲバラは、南米大陸を覆う貧困を目の当たりにして衝撃を受けたのでした。旅の中でゲバラは、一人の老人に出会いました、その老人はゲバラが子供の時にわづらっていた喘息に苦しめられていたのです。
この老人は、薬を買うお金すら持っていないがために死んでいくのだろうか?
こういった現状にゲバラは、どんどん責任感を感じるようになっていきました。
革命の風
ゲバラがボリビアを訪れた際に目にしたものは革命でした。南米を覆う貧困の原因は、主にアメリカの大企業や地主がほとんどの資産を独り占めにして安い賃金で南米の人たちを働かせていたことでした。その不公平な状況を変えるために革命が各地で起きようとしていたのでした。
革命が起きていたのはボリビアだけではなく、グアテマラという地でも起きようとしていました。ゲバラはこのグアテマラの革命政権に対し「ラテンアメリカで最も自由で民主的な国」と評した。だが、グアテマラの革命政権は崩壊した。この出来事が直接のきっかけとなり、ゲバラは武力によるラテンアメリカ革命を本気で志すようになったのだった。
メキシコでの運命的出会い
グアテマラの革命に参加したゲバラは、命を狙われてしまう。そして、失意と怒りを抱いてメキシコに逃亡した。そこで、亡命中の反体制派キューバ人のリーダーである、フィデル・カストロと出会う。キューバの独裁政権を打倒するというカストロの計画に一夜にして合意したのだった。この出会いがゲバラの人生を変えた。
キューバ革命
フィデル・カストロをリーダーとした反乱軍総勢82名はキューバに乗り込んだが、上陸直後に政府軍の襲撃を受けて壊滅状態となった。しかしリーダーカストロはこう言った
大丈夫、我々は勝てる!!
負傷者はたとえ敵であっても治療しろ!!
ゲバラは初めこの命令に反対した、ただでさえ貴重な薬品を敵兵に使うのは、我々の不利になると、だが戦いが続く中でゲバラは、カストロの命令の意味をだんだん読み取っていった。なんとこの革命軍の行動を見て信頼したキューバ国民たちが革命軍を支援するようになっていたのだった。こうして革命軍の数は次第に増加していった。
革命の成功
ゲバラは、300人を率いて政府軍6000人が迎え撃つキューバ第2の都市サンタ・クララに突入する。反乱軍を支援する多数の市民の加勢もあり、激戦の末にこれを制圧し、首都ハバナへの道筋を開いた。そしてついに1956年1月8日 カストロがハバナに到着しキューバ革命が成功した。こうしてゲバラは伝説の革命家になったのだった。
今回はここまでです。これ以降の話はまた次回にします。